20年前の中国・北京「天安門事件」と日本の不動産バブル

ちょうど20年前の1989年6月に「天安門事件」が起き、その直後に日本の不動産バブルがピークとなり、1992年にバブルは崩壊した。年表にすると以下のとおりです。

1966年   中国「文化大革命」が本格化

1972年   ニクソン米国大統領が中国訪問し、米中国交正常化。

1984年   中英間で97年香港返還に最終合意

1985年   プラザ合意=急激な円高ドル安

1989年6月 中国・北京「天安門事件」

1990年4月 中国「基本法」制定し、「一国二制度」を香港に適用すると事実上決定。

1991年   日本・不動産バブルのピーク。翌年からバブル崩壊。

1992年1月 鄧小平・中国最高指揮者の「南巡講和」(いわゆる全国行脚)開始。

1997年7月 香港が中国に返還される。

当時、日本の不動産バブルの原因は、1985年のプラザ合意をきっかけとする日本国内需要拡大を促進するための日本の金融の過剰流動性と言われていた。要するに過度なインフレ経済であった。しかし、何故インフレ経済のその投資先が不動産に集中し、まさに不動産バブルを作ったのか、しかも大手都市銀行が率先して、とKabは考えた。

それは「天安門事件」で、当時(今もだが)国際ビジネス拠点都市であり国際金融センターの香港が、中国に返還されると、「天安門」のように弾圧され、ビジネス拠点はなくなってしまう、そのビジネス拠点の移転先が、政治、治安も安定している日本(東京圏・関西圏・名古屋圏)になる、と大手都市銀行など金融のプロが予測したからと思う。だから、「過剰流動性」なるあり余ったお金を不動産に振り向けたから、不動産バブルは起こった。そして、1992年の「南巡講和」という中国最高指揮者による融和政策、その直前の「基本法」制定で、中国政府は、香港からこれまでの国際ビジネス拠点・国際金融センターの地位を奪うことはない、と明白になったから、日本の不動産バブルは急速に崩壊した、とKabは分析する。